寒くなってきたね。 あっという間に1年が過ぎて、
ふと気付けばもう新しい年が始まっている。
そうだ、今日は元旦だね。いい機会だ、一つ話をしよう。


氷の手


中学3年の冬のことだ、俺には付き合ってる相手がいた。
いや、中学生の癖に生意気な、なんて言わないで欲しい。
恋愛に歳のことを持ち込むなんて、今時保守的にも程があるじゃないか。

とにかく俺にはそういう相手がいた。
名前は、当時のクラスメイトだ。
どういう経緯で付き合うようになったかと聞かれると実は思い出せない。
よく話をしていたのは確かなんだけど、ふと気がつけば隣にいたから
はっきりしないんだ。

俺達はとてもうまくやっていた。関係は実に穏やかで
きっと今時珍しいくらい純情な(と言うと何かクサイけど)付き合いだった。
喧嘩なんてした記憶が全然無い。
傍からは喧嘩すらしたこと無いなんて有得ないって言われていたけど、
事実は事実なんだからしょうがないね。

そんな俺達は手すら繋いだことがなかった。

何故なら、俺がそうしてやろうとしてもがいつも手を引っ込めてしまっていたから。

どうして彼女がそうするのかその時の俺にはまるでわからなかった。
嫌われてないのは確かなのにどうしてだろうか、とそればかり思っていたんだ。
テニスにおける相手の分析は得意だったのに付き合ってる相手のことは
まるで分析出来ていなかった辺り、今思えば不思議な話だと思う。



あれは確か中3の時に迎えた元旦の日だった。
受験で何かと忙しい時だったけど、俺とはその日一緒に出かけようと約束していた。
で、有難い事に何の狂いもなく予定通りそれは決行されたんだ。
その年の元旦はひどい冷え込み様だった。
道行く誰も彼もがコートにマフラーに手袋、と防寒対策をガッチリ施しているし
細い足で俺の隣りを歩くはひどく手を擦っている。

「大丈夫かい。」

俺は気遣って尋ねたけど、は大丈夫だよ、と答えたきりだった。

その後も2人で色々回って時間を過ごしたんだけど、
その間中も室内室外問わずしょっちゅう手を擦っていた。
あまりに寒々として見えたものだから俺はせめて握ってやったら
少しはマシだろうと思って手を差し伸べるけどは頑なにそれを拒む。

あまりにそれが積み重なるし、でも一体どういう了見なのかわからなくて
俺はだんだん苛立ちを覚え始めていた。

そうしてそろそろ帰り始める頃、外では雪が降っていた。

「面白かったね、今日は。」

歩きながらが言った。

「そうだな。」

俺は頷いて薄く積もった雪を踏みしめる。

「今年もいい年になりそう。」

は言ってまた手を擦った。

「手を貸してごらん。」

俺は今日で何度言ったかわからない台詞を口にした。しかしは首を横に振る。

「大丈夫だよ。」
「冷えてるんだろう。」
「嫌だ。だって私…」
「いい加減にしたらどうなんだい。」

とうとう我慢出来なくなって俺は、引っ込められようとしていたの手を
無理に引っ張り出す。
は嫌がって拳を作るが俺は構わずそのまま強く自分の手で握る。
握った瞬間、体から一気に血の気が失せるような寒気が走った。

「だから嫌だって言ったのに。」

強張った俺の顔に気がついたのかが呟いた。

「私の手は冷たいんだ、冬になったらいつも氷になっちゃう。
手袋してても全然変わらないから意味ないし。」

それで俺はやっと事がわかった。
は恐れていたんだ、自分の手の冷たさで俺が彼女を敬遠するんじゃないかって。

顔を背けるに俺は構わずに握ったままのその手をそっと開かせる。
そしてそれを降りしきる雪の中にのばしてやった。

「乾、何すんの。」
「見てて御覧。」
「え。」

俺の意図がわかってないんだろう、呆けた声を上げては自分の手を見る。
本人が氷と称したその(てのひら)に雪が舞い落ちる。
落ちたと同時にその雪片はさっと溶けてただの水と化した。

「もしそれが本当なら君の手の上で雪が溶けることはないはずだよ。
少なくとも0度以下じゃないことは確かだね。」

後で考えたら我ながら物凄く恥ずかしい台詞だったんだけど、
にはそれで十分だった。
何故ならはニッコリと微笑んでくれていたからだ。

「有難う、乾。」

そうして、元旦の時は過ぎていった。
あの時のの笑顔を俺は未だに忘れていない。



それからも俺とは一緒にいた。
尤も、お互い自分自身の用事があったりして正確には
ずっと一緒にいられたわけじゃないけど。

え、今はどうしてるのかって?
それはご想像にお任せするよ。俺の口からわざわざ言うことじゃないだろう。

とりあえず、そうだな、あの元旦の日を境には手を引っ込めなくなったよ。
後で聞いたんだけど、前に手が冷たいことで誰かにひどい仕打ちを
食らったことがらしい。
随分と馬鹿な奴だと思ったけど、おかげで俺はといられるからいいか、
と考え直した。

さて、これで話は終わりだよ。
何、短いって?肝心の細かいところがちっともわからない?
すまないね、これから予定があって出かけなくちゃいけないんだ。
だって今日は元旦だろう?

がまた手を凍えさせて待ってるかもしれないから、ね。



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